えに来ておいででしょうと、笑いながら御世辞《おせじ》を云ったが、電報も打たず、いつ着くとも知らせなかった余の到着を、いくら権威赫々《けんいかくかく》たる総裁だって予知し得る道理がない。余は欄干《らんかん》に頬杖《ほおづえ》を突きながら、なるほどこいつはどうしたものかな、ひとまず是公の家《うち》へ行って宿を聞いて、それからその宿へ移る事にでもするかなと思ってるうちに、船は鷹揚《おうよう》にかの汚ならしいクーリー団の前に横づけになって止まった。止まるや否や、クーリー団は、怒《おこ》った蜂《はち》の巣のように、急に鳴動《めいどう》し始めた。その鳴動の突然なのには、ちょっと胆力を奪われたが、何しろ早晩地面の上へ下りるべき運命を持った身体《からだ》なんだから、しまいにはどうかしてくれるだろうと思って、やっぱり頬杖を突いて河岸の上の混戦を眺めていた。すると佐治さんが来て、夏目さんどこへおいでになりますと聞いてくれた。まあひとまず総裁の家《うち》へでも行って見ましょうと答えていると、そこへ背の高い、紺色《こんいろ》の夏服を着た立派な紳士が出て来て、懐中から名刺を出して叮嚀《ていねい》に挨拶をされた。
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