端からこっちの果《はて》まで響くような声を出して始終《しじゅう》げえげえ吐いていたが、この二三日それがぴたりと聞えなくなったので、だいぶ落ちついてまあ結構だと思ったら、実は疲労の極《きょく》声を出す元気を失ったのだと知れた。」
 その後《のち》患者は入れ代り立ち代り出たり入ったりした。自分の病気は日を積むにしたがってしだいに快方に向った。しまいには上草履《うわぞうり》を穿《は》いて広い廊下をあちこち散歩し始めた。その時ふとした事から、偶然ある附添の看護婦と口を利《き》くようになった。暖かい日の午過《ひるすぎ》食後の運動がてら水仙の水を易《か》えてやろうと思って洗面所へ出て、水道の栓《せん》を捩《ねじ》っていると、その看護婦が受持の室《へや》の茶器を洗いに来て、例の通り挨拶《あいさつ》をしながら、しばらく自分の手にした朱泥《しゅでい》の鉢《はち》と、その中に盛り上げられたように膨《ふく》れて見える珠根《たまね》を眺めていたが、やがてその眼を自分の横顔に移して、この前御入院の時よりもうずっと御顔色が好くなりましたねと、三カ月前の自分と今の自分を比較したような批評をした。
「この前って、あの
前へ 次へ
全10ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング