時分君もやはり附添でここに来ていたのかい」
「ええつい御隣でした。しばらく○○さんの所におりましたが御存じはなかったかも知れません」
 ○○さんと云うと例の変な音をさせた方の東隣である。自分は看護婦を見て、これがあの時|夜半《よなか》に呼ばれると、「はい」という優しい返事をして起き上った女かと思うと、少し驚かずにはいられなかった。けれども、その頃自分の神経をあのくらい刺激した音の原因については別に聞く気も起らなかった。で、ああそうかと云ったなり朱泥の鉢を拭《ふ》いていた。すると女が突然少し改まった調子でこんな事を云った。
「あの頃あなたの御室で時々変な音が致しましたが……」
 自分は不意に逆襲を受けた人のように、看護婦を見た。看護婦は続けて云った。
「毎朝六時頃になるときっとするように思いましたが」
「うん、あれか」と自分は思い出したようについ大きな声を出した。「あれはね、自働革砥《オートストロップ》の音だ。毎朝|髭《ひげ》を剃《そ》るんでね、安全髪剃《あんぜんかみそり》を革砥《かわど》へかけて磨《と》ぐのだよ。今でもやってる。嘘《うそ》だと思うなら来て御覧」
 看護婦はただへええと云
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