《しょくどうがん》であった。一人は胃癌《いがん》であった、残る一人は胃潰瘍《いかいよう》であった。みんな長くは持たない人ばかりだそうですと看護婦は彼らの運命を一纏《ひとまと》めに予言した。
 自分は縁側《えんがわ》に置いたベゴニアの小さな花を見暮らした。実は菊を買うはずのところを、植木屋が十六貫だと云うので、五貫に負けろと値切っても相談にならなかったので、帰りに、じゃ六貫やるから負けろと云ってもやっぱり負けなかった、今年は水で菊が高いのだと説明した、ベゴニアを持って来た人の話を思い出して、賑《にぎ》やかな通りの縁日の夜景を頭の中に描《えが》きなどして見た。
 やがて食道癌の男が退院した。胃癌の人は死ぬのは諦《あきら》めさえすれば何でもないと云って美しく死んだ。潰瘍の人はだんだん悪くなった。夜半《よなか》に眼を覚《さま》すと、時々東のはずれで、付添《つきそい》のものが氷を摧《くだ》く音がした。その音がやむと同時に病人は死んだ。自分は日記に書き込んだ。――「三人のうち二人死んで自分だけ残ったから、死んだ人に対して残っているのが気の毒のような気がする。あの病人は嘔気《はきけ》があって、向うの
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