い》ができるようになっている。この一枚の仕切をがらりと開けさえすれば、隣室で何をしているかはたやすく分るけれども、他人に対してそれほどの無礼をあえてするほど大事な音でないのは無論である。折から暑さに向う時節であったから縁側《えんがわ》は常に明け放したままであった。縁側は固《もと》より棟《むね》いっぱい細長く続いている。けれども患者が縁端《えんばた》へ出て互を見透《みとお》す不都合を避けるため、わざと二部屋毎に開き戸を設けて御互の関とした。それは板の上へ細い桟《さん》を十文字に渡した洒落《しゃれ》たもので、小使が毎朝|拭掃除《ふきそうじ》をするときには、下から鍵《かぎ》を持って来て、一々この戸を開けて行くのが例になっていた。自分は立って敷居の上に立った。かの音はこの妻戸《つまど》の後《うしろ》から出るようである。戸の下は二寸ほど空《す》いていたがそこには何も見えなかった。
 この音はその後《ご》もよく繰返《くりかえ》された。ある時は五六分続いて自分の聴神経を刺激する事もあったし、またある時はその半《なかば》にも至らないでぱたりとやんでしまう折もあった。けれどもその何であるかは、ついに知る
前へ 次へ
全10ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング