るのにきまっていると、すぐ心の裡《うち》で覚《さと》ったようなものの、さてそれならはたしてどこからどうして出るのだろうと考えるとやッぱり分らない。
自分は分らないなりにして、もう少し意味のある事に自分の頭を使おうと試みた。けれども一度耳についたこの不可思議な音は、それが続いて自分の鼓膜《こまく》に訴える限り、妙に神経に祟《たた》って、どうしても忘れる訳に行かなかった。あたりは森《しん》として静かである。この棟《むね》に不自由な身を託した患者は申し合せたように黙っている。寝ているのか、考えているのか話をするものは一人もない。廊下を歩く看護婦の上草履《うわぞうり》の音さえ聞えない。その中にこのごしごしと物を擦《す》り減らすような異《い》な響だけが気になった。
自分の室《へや》はもと特等として二間《ふたま》つづきに作られたのを病院の都合で一つずつに分けたものだから、火鉢《ひばち》などの置いてある副室の方は、普通の壁が隣の境になっているが、寝床の敷いてある六畳の方になると、東側に六尺の袋戸棚《ふくろとだな》があって、その傍《わき》が芭蕉布《ばしょうふ》の襖《ふすま》ですぐ隣へ往来《ゆきかよ
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