て水入の縁《ふち》にひょいと飛び上る。しばらくしてまた飛び込む。水入の直径は一寸五分ぐらいに過ぎない。飛び込んだ時は尾も余り、頭も余り、背は無論余る。水に浸《つ》かるのは足と胸だけである。それでも文鳥は欣然《きんぜん》として行水《ぎょうずい》を使っている。
 自分は急に易籠《かえかご》を取って来た。そうして文鳥をこの方へ移した。それから如露《じょろ》を持って風呂場へ行って、水道の水を汲《く》んで、籠の上からさあさあとかけてやった。如露《じょろ》の水が尽きる頃には白い羽根から落ちる水が珠《たま》になって転《ころ》がった。文鳥は絶えず眼をぱちぱちさせていた。
 昔紫の帯上《おびあげ》でいたずらをした女が、座敷で仕事をしていた時、裏二階から懐中鏡《ふところかがみ》で女の顔へ春の光線を反射させて楽しんだ事がある。女は薄紅《うすあか》くなった頬を上げて、繊《ほそ》い手を額の前に翳《かざ》しながら、不思議そうに瞬《まばたき》をした。この女とこの文鳥とはおそらく同じ心持だろう。
 日数《ひかず》が立つにしたがって文鳥は善《よ》く囀《さえ》ずる。しかしよく忘れられる。或る時は餌壺《えつぼ》が粟《あわ》
前へ 次へ
全27ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング