っと首を曲げて人を見る癖《くせ》があった。
 粟《あわ》はまだある。水もまだある。文鳥は満足している。自分は粟も水も易《か》えずに書斎へ引込《ひっこ》んだ。
 昼過ぎまた縁側へ出た。食後の運動かたがた、五六間の廻り縁を、あるきながら書見するつもりであった。ところが出て見ると粟がもう七分がた尽きている。水も全く濁ってしまった。書物を縁側へ抛《ほう》り出しておいて、急いで餌《え》と水を易えてやった。
 次の日もまた遅く起きた。しかも顔を洗って飯を食うまでは縁側を覗かなかった。書斎に帰ってから、あるいは昨日《きのう》のように、家人《うちのもの》が籠を出しておきはせぬかと、ちょっと縁へ顔だけ出して見たら、はたして出してあった。その上餌も水も新しくなっていた。自分はやっと安心して首を書斎に入れた。途端《とたん》に文鳥は千代千代と鳴いた。それで引込《ひっこ》めた首をまた出して見た。けれども文鳥は再び鳴かなかった。けげんな顔をして硝子越《ガラスごし》に庭の霜《しも》を眺めていた。自分はとうとう机の前に帰った。
 書斎の中では相変らずペンの音がさらさらする。書きかけた小説はだいぶんはかどった。指の先が
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