がこんな家が好きで、こんな暗い、穢《きたな》い家に住んで居るのではない。余儀なくされて居るまでである。
娯楽と云うような物には別に要求もない。玉突は知らぬし、囲碁《いご》も将棊《しょうぎ》も何も知らぬ。芝居は此頃何かの行掛り上から少し見た事は見たが、自然と頭の下るような心持で見られる芝居は一つも無かった。面白いとは勿論《もちろん》思わぬ。音楽も同様である。西洋音楽のいいのを聞いたら如何《どう》か知らぬが、私は今までそう云う西洋音楽を聞いた事の無い為《せい》か、未《ま》だ一度も良い書画を見る位の心持さえ起した事は無い。日本音楽などは尚更《なおさら》詰らぬものだと思う。只《ただ》謡曲|丈《だ》けはやって居る。足掛六七年になるが、これも怠《なま》けて居るから、どれ程の上達もして居ない。下《しも》がかりの宝生で、先生は宝生新氏である。尤《もっと》も私は芸術のつもりでやって居るのではなく、半分運動のつもりで唸《うな》るまでの事である。
書画だけには多少の自信はある。敢《あえ》て造詣《ぞうけい》が深いというのでは無いが、いい書画を見た時|許《ばか》りは、自然と頭が下るような心持がする。人に頼
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