しました。が借金はなかなか済みません。借りたものは巴里だって返す習慣なのだから、いかな見え坊の細君もここに至って翻然《ほんぜん》節を折って、台所へ自身出張して、飯も焚《た》いたり、水仕事もしたり、霜焼《しもやけ》をこしらえたり、馬鈴薯《ばれいしょ》を食ったりして、何年かの後ようやく負債だけは皆済《かいさい》したが、同時に下女から発達した奥様のように、妙な顔と、変な手と、卑《いや》しい服装の所有者となり果てました。話はもう一段で済みます。
 ある日この細君が例のごとく笊《ざる》か何かを提《さ》げて、西洋の豆腐《とうふ》でも買うつもりで表へ出ると、ふと先年|金剛石《ダイヤモンド》を拝借した婦人に出逢《であ》いました。先方は立派な奥様で、当方《こちら》は年期の明けた模範下女よろしくと云う有様だから、挨拶《あいさつ》をするのも、ちょっと面はゆげに見えたんでしょうが、思い切って、おやまあ御珍らしい事とか何とか話かけて見ると案のごとく、先方では、もうとくの昔に忘れています。下女に近付はないはずだがと云う風に構えていたところを、しょげ返りもせず、実はこれこれで、あなたの金剛石を弁償するため、こんな無
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