おります。
すると、こうですな。この世界には私と云うものがありまして、あなた方《がた》と云うものがありまして、そうして広い空間の中におりまして、この空間の中で御互に芝居をしまして、この芝居が時間の経過で推移して、この推移が因果の法則で纏《まと》められている。と云うのでしょう。そこでそれにはまず私と云うものがあると見なければならぬ、あなた方があると見なければならぬ。空間というものがあると見なければならぬ。時間と云うものがあると見なければならぬ。また因果の法則と云うものがあって、吾人《ごじん》を支配していると見なければならん。これは誰も疑うものはあるまい。私もそう思う。
ところがよくよく考えて見ると、それがはなはだ怪しい。よほど怪しい。通俗には誰もそう考えている。私も通俗にそう考えている。しかし退《しりぞ》いて不通俗に考えて見るとそれがすこぶるおかしい。どうもそうでないらしい。なぜかと云うと元来《がんらい》この私と云う――こうしてフロックコートを着て高襟《ハイカラ》をつけて、髭《ひげ》を生《は》やして厳然と存在しているかのごとくに見える、この私の正体がはなはだ怪しいものであります。フロ
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