ません。あれも学才があって教師には至極《しごく》だが、どうも放蕩《ほうとう》をしてと云う事になるととうてい及第はできかねます。品行が方正でないというだけなら、まだしもだが、大に駄々羅遊《だだらあそ》びをして、二尺に余る料理屋のつけ[#「つけ」に傍点]を懐中に呑《の》んで、蹣跚《まんさん》として登校されるようでは、教場内の令名に関わるのは無論であります。だからいかな長所があっても、この長所を傷ける短所があって、この短所を忘れ得せしむるだけに長所が卓然《たくぜん》としていない作物は、惜しいけれども文句がつきます。私はとくに惜しいけれども[#「惜しいけれども」に傍点]と云いたい。惜しいと云うのは、すでに長所を認めた上の批評であり、かつ短所をも知り抜いた上の判断で、一本調子に搦手《からめて》ばかり、五年も六年も突《つ》ついている陣笠連《じんがされん》とは歩調を一にしたくないからこう云うのであります。
 そこでいよいよ現代文芸の理想に移って、少々|気焔《きえん》を述べたいと思います。現代文芸の理想は何でありましょう。美? 美ではない。画の方、彫刻の方でもおそらく、単純な美ではないかも知れないが、
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