それは不案内だから、諸君の御一考を煩《わずら》わすとして、文学について申すとけっして美ではない。美と云うものを唯一《ゆいいつ》の生命にしてかいたものは、短詩のほかにはないだろうと思います。小説には無論ありますまい。脚本は固《もと》よりです。詳《くわ》しく云うと、暇がかかるから、このくらいで御免蒙《ごめんこうむ》って先へ進みます。現代の理想が美でなければ、善であろうか、愛であろうか。この種の理想は無論幾多の作物中に経となり緯となりて織り込まれているには相違ないが、これが現代の理想だと云うには、遥《はるか》に微弱すぎると思います。それでは荘厳だろうか。荘厳が現代の理想ならばいささか頼母《たのも》しい気持もするが、実際はかえって反対である。現代の世ほど heroism に欠乏した世はなく、また現代の文学ほど heroism を発揚しない文学は少かろうと思います。現代の世に荘厳の感を起す悲劇は一つも出ないのでも分ります。現代文芸の理想が美にもあらず、善にもあらずまた荘厳にもあらざる以上は、その理想は真の一字にあるに相違ない。例を引けば長くなる、証を挙《あ》げれば大変である。仕方がないから、ただ
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