ようなものでしょう。御前は朝寝坊だ、朝寝坊だからむやみに食うのだと判断されては誰も心服するものはない。枡《ます》を持ち出して、反物の尺を取ってやるから、さあ持って来いと号令を下したって誰も号令に応ずるものはありません。寒暖計を眺めて、どうもあの山の高さはよほどあるよと云う連中は、寒暖計を験温器の代りにして逆上の程度でも計ったらよかろうと思う。もっともここに見当違《けんとうちが》いの批評と云うのは、美をあらわした作物を見て、ここには真がないと否定する意味ではない。真がないから駄目だ作物にならん[#「駄目だ作物にならん」に傍点]と云う批評を云うのである。真はないかも知れぬ、なければないでよい。無いものを有ると云うて貰いたいとは誰も云わないでしょう。しかし現にある美だけは見てやらなくっては、せっかく作った作物の生命がなくなる訳であります。頭は薬缶《やかん》だが鬚《ひげ》だけは白いと云えば公平であるが、薬缶じゃ御話しにならんよと、一言で退《しりぞ》けられたなら、鬚こそいい災難である。運慶の仁王は意志の発動をあらわしている。しかしその体格は解剖には叶《かな》っておらんだろうと思います。あれを評し
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