けて見ろと云われた時に、何人《なんびと》もこれをあえてする事はできないはずと思います。もしあるとすれば答案を調べずに点数をつける乱暴な教員と同じもので、言語道断の不心得であります。ただ吾は時勢の影響を受けているから、しかじかの理想に属するものを好むと云うならばそれでよろしい。吾は個性としてかくかくの理想の下に包含せらるべきものを択《えら》むと云うならば、それで勘弁してもよい。好悪《こうお》は理窟《りくつ》にはならんのだから、いやとか好きとか云うならそれまでであるが、根拠のない好悪を発表するのを恥じて、理窟もつかぬところに、いたずらな理窟をつけて、弁解するのは、消化がわるいから僕は蛸《たこ》が嫌《きらい》だというような口上で、もし好物であったなら、いかほど不消化でも、だまって、足は八本共に平げるほどな覚悟だろうと思います。
 この故にこれら四種の理想は、互に平等な権利を有して、相冒《あいおか》すべからざる標準であります。だから美の標準のみを固執《こしゅう》して真の理想を評隲《ひょうちょく》するのは疝気筋《せんきすじ》の飛車取り王手のようなものであります。朝起を標準として人の食慾を批判する
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