んがために、文芸上の作物を仕上げたり、またはこれを味う時に働かしむる情は、作物中に材料として使用する情とは区別する必要があるからであります。我々は感覚物を感覚物として見るときに一種の情を起します、この情はすなわち文芸家の理想の一であります。我々はまた感覚物を通じて知を働かせるときに一種の情を起します。この情もまた文芸家の理想の一であります。次に我々は同じく感覚物を通じて情を働かせるときにまた一種の情を得ねばならぬ訳であります。この両《ふたつ》の情はたとえその内容において彼此《ひし》相一致するとしても、これを同体同物としては議論の上において混雑を生ずる訳であります。例えばある感覚物を通じて怒《いかり》と云う情をあらわすとすれば、この作物より得る吾人の情もまた同性質の怒かも知れぬけれども(時には異性質の情を起す事あるはもちろんである)両者同物ではない。前の怒りは原因で後の怒りは結果である。わかりやすく言い直すと、前の怒りは感覚物に附着した怒である。(たといその源は我の有する作用中の怒りを我以外に放射して創設せるものにもせよ)後の怒は我と云う自己中に起る怒りである。だから混同を防ぐためにこの
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