《つか》んでは抛《な》げ、攫んでは抛げ、あたかも粟餅屋《あわもちや》が餅をちぎって黄《き》ナ粉《こ》の中へ放り込むような勢で抛げつけます。この黄ナ粉が時間だと、過去の餅、現在の餅、未来の餅になります。この黄ナ粉が空間だと、遠い餅、近い餅、ここの餅、あすこの餅になります。今でも私の前にあなた方が百五十人ばかりならんでおられる。これは失礼ながら私が便宜のため、そこへ抛げ出したのであります。すでに空間のできた今日であるから、嘘にもせよせっかく出来上ったものを使わないのも宝の持腐れであるから、都合により、ぴしゃぴしゃ投出すと約百余人ちゃんと、そこに行儀よく並んでおられて至極《しごく》便利であります。投げると申すと失敬に当りますが、粟餅《あわもち》とは認めていないのだから、大した非礼にはなるまいと思います。
この放射作用と前に申した分化作用が合併《がっぺい》して我以外のものを、単に我以外のものとしておかないで、これにいろいろな名称を与えて互に区別するようになります。例えば感覚的なものと超感覚的なもの(あるかないか知らないが幽霊とか神とか云う正体の分らぬものを指すのです)に分類する。その感覚的な
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