ものをまた眼で見る色や形、耳で聴く音や響、鼻で嗅《か》ぐ香、舌でしる味などに区別する。かくのごとく区別されたものを、まただんだんに細かく割って行く。分化作用が行われて、感覚が鋭敏になればなるほどこの区別は微精になって来ます。のみならず同一に統一作用が行われるからして、一方では草となり、木となり、動物となり、人間となるのみならず。草は菫《すみれ》となり、蒲公英《たんぽぽ》となり、桜草となり、木は梅となり、桃となり、松となり、檜《ひのき》となり、動物は牛、馬、猿、犬、人間は士、農、工、商、あるいは老、若、男、女、もしくは貴、賤、長、幼、賢、愚、正、邪、いくらでも分岐して来ます。現に今日でも植物学者の見分け得る草や花の種類はほとんど吾人《ごじん》の幾百倍に上るであろうと思います。また諸君のような画家の鑑別する色合は普通人の何十倍に当るか分らんでしょう。それも何のためかと云えば、元に還って考えて見ると、つまりは、うまく生きて行こうの一念に、この分化を促《うなが》されたに過ぎないのであります。ある一種の意識連続を自由に得んがために(選択の区域に出来得るだけの余裕を与えんがために)あらかじめ意識の
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