った事がないような気がする。卵のフライという言葉もそれからずっと後に覚えたように思われる。
 先生はやがて肉刀《ナイフ》と肉匙《フォーク》を中途で置いた。そうして椅子を立ち上がって、書棚の中から黒い表紙の小形の本を出して、そのうちの或頁《あるページ》を朗々と読み始めた。しばらくすると、本を伏《ふ》せてどうだと聞かれた。正直の所余には一言《ひとこと》も解らなかったから、一体それは英語ですかと聞いた。すると先生は天来の滑稽を不用意に感得したように憚《はばか》りなく笑い出した。そうしてこれは希臘《ギリシャ》の詩だと答えられた。英国の表現《エキスプレッション》に、珍紛漢《ちんぷんかん》の事を、それは希臘語さというのがある。希臘語は彼地《かのち》でもそれ位|六《む》ずかしい物にしてあるのだろう。高等学校生徒の余などに解るはずは無論ない。それを何故《なぜ》先生が読んで聞かせたのかというと、詳しい理由は今思い出せないが、何でも希臘の文学を推称《すいしょう》した揚句《あげく》の事ではなかったかと思う。とにかく先生はそういう性質《たち》の人なのである。
 先生の作った「日本におけるドン・ジュアンの孫」と
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