いながらも出来得る限りの耳と頭を整理して先生の前へ出た。時には先生の家《うち》までも出掛けた。先生の家は先生のフラネルの襯衣《シャツ》と先生の帽子――先生はくしゃくしゃになった中折帽《なかおれぼう》に自分勝手に変な鉢巻《はちまき》を巻き付けて被《かむ》っていた事があった。――凡《すべ》てこれら先生の服装に調和するほどに、先生の生活は単純なものであるらしかった。

       中

 その頃の余《よ》は西洋の礼式というものを殆んど心得《こころえ》なかったから、訪問時間などという観念を少しも挟《さしは》さむ気兼《きがね》なしに、時ならず先生を襲う不作法《ぶさほう》を敢てして憚《はば》からなかった。ある日朝早く行くと、先生は丁度|朝食《あさめし》を認《したた》めている最中であった。家が狭いためか、または余を別室に導く手数《てかず》を省いたためか、先生は余を自分の食卓の前に坐らして、君はもう飯を食ったかと聞かれた。先生はその時卵のフライを食っていた。なるほど西洋人というものはこんなものを朝食うのかと思って、余はひたすら食事の進行を眺めていた。実は今考えるとその時まで卵のフライというものを味わ
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