っ》ていられた。ガウンの袖口には黄色い平打《ひらうち》の紐《ひも》が、ぐるりと縫い廻してあった。これは装飾のためとも見られるし、または袖口を括《くく》る用意とも受取れた。ただし先生には全く両様の意義を失った紐に過ぎなかった。先生が教場で興《きょう》に乗じて自分の面白いと思う問題を講じ出すと、殆んどガウンも鼠の襯衣《シャツ》も忘れてしまう。果《はて》はわがいる所が教場であるという事さえ忘れるらしかった。こんな時には大股《おおまた》で教壇を下りて余らの前へ髯《ひげ》だらけの顔を持ってくる。もし余らの前に欠席者でもあって、一脚の机が空《あ》いていれば、必ずその上へ腰を掛ける。そうして例のガウンの袖口に着いている黄色い紐を引張って、一尺程の長さを拵《こし》らえて置いて、それでぴしゃりぴしゃりと机の上を敲《たた》いたものである。
 当時余はほんの小供《こども》であったから、先生の学殖《がくしょく》とか造詣《ぞうけい》とかを批判する力はまるでなかった。第一先生の使う言葉からが余自身の英語とは頗《すこぶ》る縁の遠いものであった。それでも余は他の同級生よりも比較的熱心な英語の研究者であったから、分らな
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