。さうして戦争の展開する場面が非常に広い割に、又それに要する破壊的動力が凄《すさま》じい位《くらゐ》猛烈な割に、案外落付いてゐられるのは、全く此《この》見解が知らず/\胸の裡《うち》にあるからだらうと、私《ひそ》かに自分で自分を判断した。
 実際|此《この》戦争から人間の信仰に革命を引き起すやうな結果は出て来やうとも思はれない。又従来の倫理観を一変するやうな段落が生じやうとも考へられない。これが為《ため》に美醜《びしう》の標準に狂《くる》ひが出やうとは猶更《なほさら》懸念できない。何《ど》の方面から見ても、吾々の精神生活が急劇な変化を受けて、所謂《いはゆる》文明なるものゝ本流に、強い角度の方向転換が行はれる虞《おそれ》はないのである。
 戦争と名のつくものゝ多くは古来から大抵|斯《こ》んなものかも知れないが、ことに今度の戦争は、其《その》仕懸《しかけ》の空前に大袈裟《おほげさ》な丈《だけ》に、やゝともすると深みの足りない裏面を対照として却《かへつ》て思ひ出させる丈《だけ》である。自分は常にあの弾丸とあの硝薬《せうやく》とあの毒|瓦斯《ガス》とそれからあの肉団《にくだん》と鮮血とが、我々
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