に供しても差支《〔さしつかえ〕》ないものだといふ信念を抱くやうになつた。専政だらうが圧制だらうが、苟《〔いやしく〕》も国家の統一を維持し、又国家の威力を増進する以上は、いくら何《ど》う用ひても構はないものだといふ決論に到着した。さうして其意見を彼の父に書いて遣《〔や〕》つた。是は彼がゲツチンゲンで修業してゐる頃《ころ》で、年歯《とし》にすると二十二三の時の事《こと》である。(つゞく)

       八 トライチケ(三)

 東西南北どちらの方角を眺めても、彼の眼に映ずるものは悉《〔ことごと〕》く独乙《〔ドイツ〕》の敵であつた。彼は魯西亜《〔ロシア〕》を軽蔑した。年来独乙の統一に反対する墺地利《〔オーストリア〕》も、彼の憎悪を免《まぬ》かれなかつた。ミルトンとシエクスピヤを嘆美しながらも、それらの詩人を有する英吉利《〔イギリス〕》は、彼から見ると独乙の発展に妨害ある一種の邪魔|物《もの》に過ぎなかつた。彼は到底|一《ひと》戦争しなければ済《す》まないと考へた。さうして其戦争から真に強固にして健全な独乙が生れて来《く》るといふ事《こと》を信じて疑はなかつた。
 多数の聴講生を有する彼は、
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