要も手数も要らないで、すぐ彼と今度の戦争との関係が解るのである。彼の説はニーチエ程高踏的でなかつた。孤峰頂上から下界へ向つて命令するが如き態度で、詩のやうな哲学、又哲学のやうな詩を絶叫しはしなかつた。無論ヘーゲル程神秘の雲《くも》のうちに隠れて弁証の稲妻を双手に弄する人ではなかつた。彼は最初から確実に地上を歩《ある》いてゐた。のみならず彼の眼界は狭い独乙《〔ドイツ〕》によつて東西南北共に仕切られてゐた。従つて今更新らしく彼を翻訳する必要もなければ又しやうとした所で其余地もないのである。たゞ当時の彼を当時の儘引き延ばして、今の戦争に連続させさへすれば、それで両者の関係は可なり判然するのである。自分はわざと両者の関係と云つた。実は彼が今次の大戦争に及ぼした影響と云ひたいのであるが、それはニーチエやヘーゲルの場合と同じく、影響の程度からいつて、自分には能《〔よ〕》く解《わか》らないから、仕方なしにさういふ言葉|遣《づか》ひを遠慮した。しかも其上に前述べた通り、彼《〔ひ〕》我《が》国情の差違《さゐ》並《なら》びに批評家の誇張などを念頭に置いて、是からトライチケを一瞥しやうとするのである。
 千
前へ 次へ
全33ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング