、大仕掛《おほじかけ》の準備、即《すなは》ち戦争といふ形式を以て世の中に起るとすれば、それを解釈するものは、腕力の発現そのものが目的で人間が戦争をするのであるとするか、又は目的は他《た》にあるが、それを遂行《すゐかう》する手段として已《やむ》を得ず戦争に訴へたのだとしなければならない。然《しか》し戦争|其物《そのもの》が面白くつて戦争をしたものが昔からあるだらうか。ナポレオンの様な此《この》方面の天才ですら、夜打朝懸《ようちあさがけ》、軍《いく》さの懸引《〔かけひき〕》に興味は有《も》つてゐたかも知れないが、たゞ戦ひたいから戦つたのだとは受け取れない。たとひ露骨な腕力沙汰が個人の本能だとしても、相手を殺したり傷《きずつ》けたりしない程度に於《おい》て其《その》本能を満足させるのが人情である。一日に何千何万といふ人命を賭《かけ》にして此《この》本能に飽満《はうまん》の悦楽を与へるのが戦争であるとは、誰しも云《い》ひ得まい。すると戦争は戦争の為の戦争ではなくつて、他に何等《なんら》かの目的がなくてはならない、畢竟《ひつきやう》ずるに一の手段に過ぎないといふ事に帰着してしまふ。
何《いづ》
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