は行かないのである。
 待対《たいたい》世界の凡《すべ》てのものが悉《こと/″\》く条件つきで其《その》存在を許されてゐる以上、向後《かうご》に回復されべき欧洲の平和にも、亦《また》絶対の権威が伴つてゐない事だけは誰の眼にも明かである。然《しか》し彼等が其《その》平和の必要条件として、それとは全く両立しがたい腕力の二字を常に念頭に置くべく強《し》ひられるに至つては、彼等と雖《いへど》も今更ながら天のアイロニーに驚かざるを得まい。現代に所謂《いはゆる》列強の平和とはつまり腕力の平均に外ならないといふ平凡な理窟を彼等は又新しく天から教へられたのである。土俵の真中で四つに組んで動かない力士は、外観上|至極《しごく》平和さうに見える。今迄彼等の享有《きやういう》した平和も、実はそれ程に高価で、又それ程に苦痛性を帯びてゐたのである。しかも彼等は相撲取のやうにそれを自覚してゐなかつたために突然罰せられた。換言すれば生存上腕力の必要を向後《かうご》当分の間《あひだ》忘れる事の出来ないやうに遣付《やつつ》けられた。軍国主義が今迄彼等に及ぼした、又|是《これ》から先彼等に及ぼすべき影響は決して浅いもので
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