軍国主義(二)

 然《しか》しもう少し低い見地に立つて、もつと手近な所を眺めると、此《この》戦争の当然将来に齎《もたら》すべき結果は、いくらでも吾々の視線の中《うち》に這入《はひ》つて来なければならない。政治上にせよ、経済上にせよ、向後《かうご》解決されべき諸問題は何《ど》の位《くらゐ》彼等の前に横《よこた》はつてゐるか分らないと云《い》つても好《い》い位である。
 其中《そのうち》で事件の当初から最も自分の興味を惹《ひ》いたもの、又現に惹きつゝあるものは、軍国主義の未来といふ問題に外ならなかつた。人道の為の争ひとも、信仰の為の闘ひとも、又意義ある文明の為の衝突とも見做《みな》す事の出来ない此《この》砲火の響を、自分はたゞ軍国主義の発現として考へるより外に翻訳の仕様がなかつたからである。欧洲大乱といふ複雑極まる混乱した現象を、斯《か》う鷲攫《わしづかみ》に纏めて観察した時、自分は始めて此《この》戦争に或《ある》意味を附着する事が出来た。さうして重《おも》に其《その》意味からばかり勝敗の成行《なりゆき》を眺めるやうになつた。従つて個人としての同情や反感を度外に置くと、独逸《ドイツ》だの仏蘭西《フランス》だの英吉利《イギリス》だのといふ国名は、自分に取つてもう重要な言葉でも何でもなくなつて仕舞《しま》つた。自分は軍国主義を標榜《へうばう》する独逸が、何《ど》の位の程度に於《おい》て聯合国を打ち破り得るか、又|何《ど》れ程《ほど》根強くそれらに抵抗し得るかを興味に充《み》ちた眼で見詰めるよりは、遥《はるか》により鋭い神経を働かせつつ、独逸に因《よ》つて代表された軍国主義が、多年|英仏《えいふつ》に於て培養された個人の自由を破壊し去るだらうかを観望してゐるのである。国土や領域や羅甸《ラテン》民族やチユトン人種や凡《すべ》て具象的な事項は、今の自分に左《さ》した問題になつてゐない。
 独逸は当初の予期に反して頗《すこぶ》る強い。聯合軍に対して是程《これほど》持ち応《こた》へやうとは誰しも思つてゐなかつた位に強い。すると勝負の上に於《おい》て、所謂《いはゆる》軍国主義なるものゝ価値は、もう大分《だいぶ》世界各国に認められたと云《い》はなければならない。さうして向後《かうご》独逸が成功を収めれば収める程、此《この》価値は漸々《ぜん/\》高まる丈である。英吉利のやうに個人の自由
前へ 次へ
全17ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング