を重んずる国が、強制徴兵案を議会に提出するのみならず、それが百五対四百三の大多数を以て第一|読会《どくくわい》を通過したのを見ても、其《その》消息はよく窺《うかゞ》はれるだらう。
かつてギッシングの書いたものを読んだら、小さいうち学校で体操を強ひられるのが、非常の苦痛と不快を彼に与へたといふ事が精《くは》しく述べてあつた末に、もしわが英国で本人の意思に逆つて迄も徴兵を強制するやうになつたと仮定したら、自分は何《ど》んな心持になるだらう、さういふ事実は万々起る筈《はず》はないのだけれども、たゞ想像して見てさへ堪《た》へられないと附け加へてあつた。ギッシングのやうに独居《どくきよ》を好む人は特別だと云《い》ふかも知れないが、英国人の自由を愛する念と云つたら、殆《ほとん》ど第二の天性として一般に行き渡つてゐるのだから、強制徴兵に対する嫌悪の情は、誰しもギッシングに譲らないと見ても間違はないのである。其《その》英国で無理にも国民を兵籍に入れやうとするのには至大《しだい》の困難があると思はなければならない。其困難を冒《をか》して新しい議案が持ち出され、又其議案が過半の多数に因《よ》つて通過されたとすると、現に非常な変化が英国民の頭の中《うち》に起りつつある証拠になる。さうして此《この》変化は既に独逸が真向《まつかう》に振り翳《かざ》してゐる軍国主義の勝利と見るより外に仕方がない。戦争がまだ片付かないうちに、英国は精神的にもう独逸に負けたと評しても好い位のものである。(つゞく)
四 軍国主義(三)
開戦の劈頭《へきとう》から首都|巴里《パリー》を脅《おびや》かされやうとした仏蘭西《フランス》人の脳裏には英国民よりも遥《はるか》に深く此《この》軍国主義の影響が刻み付けられたに違ない。たゞでさへ何《ど》うして独逸《ドイツ》に復讐してやらうかと考へ続けに考へて来た彼等が、愈《いよ/\》となると、却《かへつ》て其《その》独逸の為に領土の一部分を蹂躪《じうりん》されるばかりか、政庁さへ遠い所へ移さなければならなくなつたのは、彼等に取つて甚《はなは》だ痛ましい事実である。其《その》事実を眼前に見た彼等の精神に、一種の強い感銘が起るのも亦《また》必然の結果と云《い》はなければなるまい。飛行船から投下された爆弾以外に、まだ寸土《すんど》も敵兵に踏まれてゐない英国に比較する
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