。さうして戦争の展開する場面が非常に広い割に、又それに要する破壊的動力が凄《すさま》じい位《くらゐ》猛烈な割に、案外落付いてゐられるのは、全く此《この》見解が知らず/\胸の裡《うち》にあるからだらうと、私《ひそ》かに自分で自分を判断した。
実際|此《この》戦争から人間の信仰に革命を引き起すやうな結果は出て来やうとも思はれない。又従来の倫理観を一変するやうな段落が生じやうとも考へられない。これが為《ため》に美醜《びしう》の標準に狂《くる》ひが出やうとは猶更《なほさら》懸念できない。何《ど》の方面から見ても、吾々の精神生活が急劇な変化を受けて、所謂《いはゆる》文明なるものゝ本流に、強い角度の方向転換が行はれる虞《おそれ》はないのである。
戦争と名のつくものゝ多くは古来から大抵|斯《こ》んなものかも知れないが、ことに今度の戦争は、其《その》仕懸《しかけ》の空前に大袈裟《おほげさ》な丈《だけ》に、やゝともすると深みの足りない裏面を対照として却《かへつ》て思ひ出させる丈《だけ》である。自分は常にあの弾丸とあの硝薬《せうやく》とあの毒|瓦斯《ガス》とそれからあの肉団《にくだん》と鮮血とが、我々人類の未来の運命に、何《ど》の位の貢献をしてゐるのだらうかと考へる。さうして或《あ》る時は気の毒になる。或る時は悲しくなる。又或る時は馬鹿々々しくなる。最後に折々《をり/\》は滑稽さへ感ずる場合もあるといふ残酷な事実を自白せざるを得ない。左様《さう》した立場から眺めると、如何《いか》に凄《すさま》じい光景でも、如何に腥《なま》ぐさい舞台でも、それに相応した内面的背景を具《そな》へて居ないといふ点に於《おい》て、又それに比例した強硬な脊髄を有して居ないといふ意味に於て、浅薄な活動写真だの軽浮《けいふ》なセンセーシヨナル小説だのと択《えら》ぶ所がないやうな気になる。たとひ殺傷に参加する人々個々の頭上には、千差万別の悲劇が錯綜紛糾《さくそうふんきう》して、時々刻々に彼等の運命を変化しつゝあらうとも、それは当座限りの影響に過《すぎ》ない。永久に吾人《ごじん》一般の内面生活を変色させるやうな強い結果は何処《どこ》からも生れて来ない。とすると、今度の戦争は有史以来特筆大書すべき深刻な事実であると共に、まことに根の張らない見掛倒しの空々《そら/″\》しい事実なのである。(つゞく)
三
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