はない。又短いものではなからう。
普魯西《プロシヤ》人は文明の敵だと叫んで見たり、独逸《ドイツ》人が傍《そば》にゐると食つた物が消化《こな》れないで困ると云《い》つたりしたニーチエは、偉大なる「力」の主張者であつた。不思議にも彼の力説した議論の一面を、彼の最も忌《い》み悪《にく》んだ独逸人が、今政治的に又国際的に、実行してゐるのである。さうして成効してゐるのである。軍国主義の精神には一時的以上の真理が何処《どこ》かに伏在《ふくざい》してゐると認めても差支《さしつかへ》ないかも知れない。
然《しか》し自分の軍国主義に対する興味は、此処迄《ここまで》観察して来ると其処《そこ》で消えてしまはなければならない。自分はこれ以上同じ問題に就《つ》いて考へる必要を認めない。又手数も厭《いと》はしい気がする。自分はもつと高い場所に上《のぼ》りたくなる。もつと広い眼界から人間を眺めたくなる。さうして今|独逸《ドイツ》を縦横に且《かつ》獰猛《だうまう》に活躍させてゐる此《この》軍国主義なるものを、もつと遠距離から、もつと小さく観察したい。
将来に於ける人間の生存上|赤裸々《せきらゝ》なる腕力の発現が、大仕掛《おほじかけ》の準備、即《すなは》ち戦争といふ形式を以て世の中に起るとすれば、それを解釈するものは、腕力の発現そのものが目的で人間が戦争をするのであるとするか、又は目的は他《た》にあるが、それを遂行《すゐかう》する手段として已《やむ》を得ず戦争に訴へたのだとしなければならない。然《しか》し戦争|其物《そのもの》が面白くつて戦争をしたものが昔からあるだらうか。ナポレオンの様な此《この》方面の天才ですら、夜打朝懸《ようちあさがけ》、軍《いく》さの懸引《〔かけひき〕》に興味は有《も》つてゐたかも知れないが、たゞ戦ひたいから戦つたのだとは受け取れない。たとひ露骨な腕力沙汰が個人の本能だとしても、相手を殺したり傷《きずつ》けたりしない程度に於《おい》て其《その》本能を満足させるのが人情である。一日に何千何万といふ人命を賭《かけ》にして此《この》本能に飽満《はうまん》の悦楽を与へるのが戦争であるとは、誰しも云《い》ひ得まい。すると戦争は戦争の為の戦争ではなくつて、他に何等《なんら》かの目的がなくてはならない、畢竟《ひつきやう》ずるに一の手段に過ぎないといふ事に帰着してしまふ。
何《いづ》
前へ
次へ
全17ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング