れの方面から見ても手段は目的以下のものである。目的よりも低級なものである。人間の目的が平和にあらうとも、芸術にあらうとも、信仰にあらうとも、知識にあらうとも、それを今批判する余裕はないが、とにかく戦争が手段である以上、人間の目的でない以上、それに成効の実力を付与する軍国主義なるものも亦《また》決して活力評価表の上に於て、決して上位を占《し》むべきものでない事は明かである。
 自分は独逸によつて今日迄|鼓吹《こすゐ》された軍国的精神が、其《その》敵国たる英仏に多大の影響を与へた事を優《いう》に認めると同時に、此《この》時代錯誤的精神が、自由と平和を愛する彼等に斯《か》く多大の影響を与へた事を悲しむものである。

       六 トライチケ(一)

 欧洲戦争が起つてから、独乙《〔ドイツ〕》の学者思想家の言論を実際的に解釈するものが続々出て来た。
 最初|英吉利《〔イギリス〕》の雑誌にはニーチエといふ名前が頻《しき》りに見えた。ニーチエは今度の事件が起る十年も前、既に英語に翻訳されてゐる。英吉利の思想界にあつて別に新《あた》らしい名前でもない。然し彼等は其《〔その〕》名前に特別な新《あた》らしい意味を着《つ》けた。さうして彼の思想を此《〔この〕》大戦争の影響者である如くに言ひ出した。是は誰の眼《め》にも映《うつ》る程|屡《しば/\》繰り返《かへ》された。基督《〔キリスト〕》の道徳は奴隷《どれい》の道徳であると罵つたのは正にニーチエであると同時に、ビスマークを憎みトライチケを侮つたのもニーチエであるとすると、彼が斯《〔こ〕》ういふ解釈を受けて満足するかどうかは疑問である。本人の思はく如何《〔いかん〕》は別問題として、彼の唱道した超人主義の哲学が、此際|独乙《〔ドイツ〕》に取つて、何《ど》れ程役に立つてゐるかも遠方に生れた自分には殆んど見当が付かない。
 仏蘭西《〔フランス〕》の一批評家は「所謂《〔いわゆる〕》独乙的発展」といふ題目の下《した》に、ヘーゲルとビスマークとヰリアム二世の名を列挙した。彼はヘーゲルの様な純粋の哲学者を軍人政治家と結び付《つ》ける許りか、其思想が彼等軍人政治家の実行に深い関係を有してゐるのだといふ事《こと》を説明しやうと試みた。彼の云ふ所によると、普魯西《〔プロシア〕》の軍国主義はヘーゲルの観念論の結果に外ならんといふのである。――元来独乙のアイ
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