記を話すのって、いざとなると、まるで正体なしに寝ちまうんだ。――そうして、非常ないびき[#「いびき」に傍点]をかいて――」
「そうか、そりゃ失敬した。あんまり疲れ過ぎたんだよ」
「時に天気はどうだい」
「上天気だ」
「くだらない天気だ、昨日晴れればいい事を。――そうして顔は洗ったのかい」
「顔はとうに洗った。ともかくも起きないか」
「起きるって、ただは起きられないよ。裸で寝ているんだから」
「僕は裸で起きた」
「乱暴だね。いかに豆腐屋育ちだって、あんまりだ」
「裏へ出て、冷水浴をしていたら、かみさんが着物を持って来てくれた。乾《かわ》いてるよ。ただ鼠色《ねずみいろ》になってるばかりだ」
「乾いてるなら、取り寄せてやろう」と碌さんは、勢《いきおい》よく、手をぽんぽん敲《たた》く。台所の方で返事がある。男の声だ。
「ありゃ御者《ぎょしゃ》かね」
「亭主かも知れないさ」
「そうかな、寝ながら占《うらな》ってやろう」
「占ってどうするんだい」
「占って君と賭《かけ》をする」
「僕はそんな事はしないよ」
「まあ、御者か、亭主か」
「どっちかなあ」
「さあ、早くきめた。そら、来るからさ」
「じゃ、
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