え》にかじりついている。麦藁帽子《むぎわらぼうし》を手拭《てぬぐい》で縛《しば》りつけた頭の下から、真赤にいきんだ顔が、八分通り阿蘇卸《あそお》ろしに吹きつけられて、喰い締めた反《そ》っ歯《ぱ》の上にはよな[#「よな」に傍点]が容赦なく降ってくる。
 毛繻子張《けじゅすば》り八間《はちけん》の蝙蝠《こうもり》の柄には、幸い太い瘤《こぶ》だらけの頑丈《がんじょう》な自然木《じねんぼく》が、付けてあるから、折れる気遣《きづかい》はまずあるまい。その自然木の彎曲《わんきょく》した一端に、鳴海絞《なるみしぼ》りの兵児帯《へこおび》が、薩摩《さつま》の強弓《ごうきゅう》に新しく張った弦《ゆみづる》のごとくぴんと薄を押し分けて、先は谷の中にかくれている。その隠れているあたりから、しばらくすると大きな毬栗頭《いがぐりあたま》がぬっと現われた。
 やっと云う掛声と共に両手が崖《がけ》の縁《ふち》にかかるが早いか、大入道《おおにゅうどう》の腰から上は、斜《なな》めに尻《しり》に挿《さ》した蝙蝠傘《こうもり》と共に谷から上へ出た。同時に碌さんは、どさんと仰向《あおむ》きになって、薄《すすき》の底に倒れた。
前へ 次へ
全71ページ中61ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング