尊といかも知れないが、どうも饂飩屋は性《しょう》に合わない。――しかし、とうとう饂飩を食わせられた今となって見ると、いくら饂飩屋の亭主を恨《うら》んでも後《あと》の祭《まつ》りだから、まあ、我慢して、ここから曲がってやろう」
「石段は見えるが、あれが寺かなあ、本堂も何もないぜ」
「阿蘇《あそ》の火で焼けちまったんだろう。だから云わない事じゃない。――おい天気が少々|剣呑《けんのん》になって来たぜ」
「なに、大丈夫だ。天祐《てんゆう》があるんだから」
「どこに」
「どこにでもあるさ。意思のある所には天祐がごろごろしているものだ」
「どうも君は自信家だ。剛健党《ごうけんとう》になるかと思うと、天祐派《てんゆうは》になる。この次ぎには天誅組《てんちゅうぐみ》にでもなって筑波山《つくばさん》へ立て籠《こも》るつもりだろう」
「なに豆腐屋時代から天誅組さ。――貧乏人をいじめるような――豆腐屋だって人間だ――いじめるって、何らの利害もないんだぜ、ただ道楽なんだから驚ろく」
「いつそんな目に逢《あ》ったんだい」
「いつでもいいさ。桀紂《けっちゅう》と云えば古来から悪人として通《とお》り者《もの》だが
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