い」と碌さんは下女の顔を覗《のぞ》き込む。
「ねえい。女でも登りますたい」
「女でも登っちゃ、男は是非《ぜひ》登る訳《わけ》かな。飛んだ事になったもんだ」
「ともかくも、あしたは六時に起きて……」
「もう分ったよ」
言い棄《す》てて、部屋のなかに、ごろりと寝転んだ、碌さんの去ったあとに、圭さんは、黙然《もくねん》と、眉《まゆ》を軒《あ》げて、奈落《ならく》から半空に向って、真直《まっすぐ》に立つ火の柱を見詰めていた。
四
「おいこれから曲がっていよいよ登るんだろう」と圭《けい》さんが振り返る。
「ここを曲がるかね」
「何でも突き当りに寺の石段が見えるから、門を這入《はい》らずに左へ廻れと教えたぜ」
「饂飩屋《うどんや》の爺《じい》さんがか」と碌《ろく》さんはしきりに胸を撫《な》で廻す。
「そうさ」
「あの爺さんが、何を云うか分ったもんじゃない」
「なぜ」
「なぜって、世の中に商売もあろうに、饂飩屋になるなんて、第一それからが不了簡《ふりょうけん》だ」
「饂飩屋だって正業だ。金を積んで、貧乏人を圧迫するのを道楽にするような人間より遥《はる》かに尊《たっ》といさ」
「
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