「あってもそのくらいじゃ駄目だ」
「このくらいじゃ豆腐《とうふ》いと云う資格はないのかな。大《おおい》に僕の財産を見縊《みくび》ったね」
「時に君、背中《せなか》を流してくれないか」
「僕のも流すのかい」
「流してもいいさ。隣りの部屋の男も流しくらをやってたぜ、君」
「隣りの男の背中は似たり寄ったりだから公平だが、君の背中と、僕の背中とはだいぶ面積が違うから損だ」
「そんな面倒な事を云うなら一人で洗うばかりだ」と圭さんは、両足を湯壺《ゆつぼ》の中にうんと踏ん張って、ぎゅうと手拭《てぬぐい》をしごいたと思ったら、両端《りょうはじ》を握ったまま、ぴしゃりと、音を立てて斜《はす》に膏切《あぶらぎ》った背中へあてがった。やがて二の腕へ力瘤《ちからこぶ》が急に出来上がると、水を含んだ手拭は、岡のように肉づいた背中をぎちぎち磨《こす》り始める。
手拭の運動につれて、圭さんの太い眉《まゆ》がくしゃりと寄って来る。鼻の穴が三角形に膨脹《ぼうちょう》して、小鼻が勃《ぼっ》として左右に展開する。口は腹を切る時のように堅く喰締《くいしば》ったまま、両耳の方まで割《さ》けてくる。
「まるで仁王《におう》の
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