りに暇があったら、もしかすると寄るかも知れないから、帰ったら待ってるようにいってくれって、いい置いていらっしゃいました」
「何の用なのかね」
「やっぱりあの人の事なんだそうです」
兄は島田の事で来たのであった。
三十一
細君は手に持った書付《かきつけ》の束を健三の前に出した。
「これを貴夫《あなた》に上げてくれと仰《おっ》しゃいました」
健三は怪訝《けげん》な顔をしてそれを受取った。
「何だい」
「みんなあの人に関係した書類なんだそうです。健三に見せたら参考になるだろうと思って、用箪笥《ようだんす》の抽匣《ひきだし》の中にしまって置いたのを、今日《きょう》出して持って来たって仰《おっし》ゃいました」
「そんな書類があったのかしら」
彼は細君から受取った一括《ひとくく》りの書付を手に載せたまま、ぼんやり時代の付いた紙の色を眺めた。それから何も意味なしに、裏表を引繰返して見た。書類は厚さにしてほぼ二|寸《すん》もあったが、風の通らない湿気《しっけ》た所に長い間放り込んであったせいか、虫に食われた一筋の痕《あと》が偶然健三の眼を懐古的にした。彼はその不規則な筋を指の先で
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