うになったのである。
「さぞ辛《つら》いだろう」
 容色《きりょう》を生命とする女の身になったら、殆《ほと》んど堪えられない淋《さび》しみが其所《そこ》にあるに違ないと健三は考えた。しかしいくらでも春が永く自分の前に続いているとしか思わない伴《つれ》の青年には、彼の言葉が何ほどの効果にもならなかった。この青年はまだ二十三、四であった。彼は始めて自分と青年との距離を悟って驚ろいた。
「そういう自分もやっぱりこの芸者と同じ事なのだ」
 彼は腹の中で自分と自分にこういい渡した。若い時から白髪の生えたがる性質《たち》の彼の頭には、気のせいか近頃めっきり白い筋が増して来た。自分はまだまだと思っているうちに、十年は何時の間にか過ぎた。
「しかし他事《ひとごと》じゃないね君。その実僕も青春時代を全く牢獄の裡《うち》で暮したのだから」
 青年は驚ろいた顔をした。
「牢獄とは何です」
「学校さ、それから図書館さ。考えると両方ともまあ牢獄のようなものだね」
 青年は答えなかった。
「しかし僕がもし長い間の牢獄生活をつづけなければ、今日《こんにち》の僕は決して世の中に存在していないんだから仕方がない」
 健
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