しく往来《ゆきき》をしていなかった。自分の姉や兄と疎遠になるという変な事実は、彼に取っても余り気持の好《い》いものではなかった。しかし親類づきあいよりも自分の仕事の方が彼には大事に見えた。それから東京へ帰って以後既に三、四回彼らと顔を合せたという記憶も、彼には多少の言訳になった。もし帽子を被《かぶ》らない男が突然彼の行手を遮らなかったなら、彼は何時もの通り千駄木《せんだぎ》の町を毎日二|返《へん》規則正しく往来するだけで、当分外の方角へは足を向けずにしまったろう。もしその間《あいだ》に身体《からだ》の楽に出来る日曜が来たなら、ぐたりと疲れ切った四肢《しし》を畳の上に横たえて半日の安息を貪《むさぼ》るに過ぎなかったろう。
 しかし次の日曜が来たとき、彼はふと途中で二度会った男の事を思い出した。そうして急に思い立ったように姉の宅《うち》へ出掛けた。姉の宅は四《よ》ッ谷《や》の津《つ》の守坂《かみざか》の横で、大通りから一町ばかり奥へ引込んだ所にあった。彼女の夫というのは健三の従兄《いとこ》にあたる男だから、つまり姉にも従兄であった。しかし年齢《とし》は同年《おないどし》か一つ違で、健三から
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