くばく》たる曠野《あらの》の方角へ向けて生活の路《みち》を歩いて行きながら、それがかえって本来だとばかり心得ていた。温かい人間の血を枯らしに行くのだとは決して思わなかった。
 彼は親類から変人扱いにされていた。しかしそれは彼に取って大した苦痛にもならなかった。
「教育が違うんだから仕方がない」
 彼の腹の中には常にこういう答弁があった。
「やっぱり手前味噌《てまえみそ》よ」
 これは何時でも細君の解釈であった。
 気の毒な事に健三はこうした細君の批評を超越する事が出来なかった。そういわれる度《たび》に気不味《きまず》い顔をした。ある時は自分を理解しない細君を心《しん》から忌々《いまいま》しく思った。ある時は叱《しか》り付けた。またある時は頭ごなしに遣《や》り込めた。すると彼の癇癪《かんしゃく》が細君の耳に空威張《からいばり》をする人の言葉のように響いた。細君は「手前味噌」の四字を「大風呂敷《おおぶろしき》」の四字に訂正するに過ぎなかった。
 彼には一人の腹違《はらちがい》の姉と一人の兄があるぎりであった。親類といったところでこの二軒より外に持たない彼は、不幸にしてその二軒ともとあまり親
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