てそりゃ昔しも昔し、ずっと昔しの話でさあ。その上ただで借りやしまいしね、……」
「またただで貸す風でもなしね」
「そうさ。口じゃ親類付合だとか何とかいってるくせに、金にかけちゃあかの他人より阿漕《あこぎ》なんだから」
「来た時にそういって遣れば好いのに」
 比田と兄との談話はなかなか元へ戻って来なかった。ことに比田は其所《そこ》に健三のいるのさえ忘れてしまったように見えた。健三は好加減《いいかげん》に何とか口を出さなければならなくなった。
「一体どうしたんです。島田がこちらへでも突然伺ったんですか」
「いやわざわざ御呼び立て申して置いて、つい自分の勝手ばかり喋舌《しゃべ》って済みません。――じゃ長さん私から健ちゃんに一応その顛末《てんまつ》を御話しする事にしようか」
「ええどうぞ」
 話しは意外にも単純であった。――ある日島田が突然比田の所へ来た。自分も年を取って頼りにするものがいないので心細いという理由の下《もと》に、昔し通り島田姓に復帰してもらいたいからどうぞ健三にそう取り次いでくれと頼んだ。比田もその要求の突飛《とっぴ》なのに驚ろいて最初は拒絶した。しかし何といっても動かないので
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