ね、あなた」
姉はこうして三日も四日も不眠絶食の姿で衰ろえて行ったあと、また活作用の弾力で、じりじり元へ戻るのを、年来の習慣としていた。それを知らない健三ではなかったが、目前《まのあたり》この猛烈な咳嗽《せき》と消え入るような呼息遣《いきづかい》とを見ていると、病気に罹《かか》った当人よりも自分の方がかえって不安で堪らなくなった。
「口を利こうとすると咳嗽を誘い出すのでしょう。静かにしていらっしゃい。私《わたし》はあっちへ行くから」
発作の一仕切収まった時、健三はこういって、またもとの座敷へ帰った。
二十五
比田は平気な顔をして本を読んでいた。「いえなにまた例の持病ですから」といって、健三の慰問にはまるで取り合わなかった。同じ事を年に何度となく繰り返して行くうちに、自然《じねん》と末枯《すが》れて来る気の毒な女房の姿は、この男にとって毫《ごう》も感傷の種にならないように見えた。実際彼は三十年近くも同棲《どうせい》して来た彼の妻に、ただの一つ優しい言葉を掛けた例《ためし》のない男であった。
健三の這入《はい》って来るのを見た彼は、すぐ読み懸けの本を伏せて、鉄縁《てつ
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