あった。
「軍人なんですか、その御縫さんて人の御嫁に行った所は」
健三が急に話を途切らしたので、細君はしばらく間《ま》を置いたあとでこんな問《とい》を掛けた。
「能《よ》く知ってるね」
「何時《いつ》か御兄《おあにい》さんから伺いましたよ」
健三は心のうちで昔見た柴野と御縫さんの姿を並べて考えた。柴野は肩の張った色の黒い人であったが、眼鼻立《めはなだち》からいうとむしろ立派な部類に属すべき男に違なかった。御縫さんはまたすらりとした恰好《かっこう》の好《い》い女で、顔は面長《おもなが》の色白という出来であった。ことに美くしいのは睫毛《まつげ》の多い切長《きれなが》のその眼のように思われた。彼らの結婚したのは柴野がまだ少尉か中尉の頃であった。健三は一度その新宅の門を潜《くぐ》った記憶を有《も》っていた。その時柴野は隊から帰って来た身体を大きくして、長火鉢《ながひばち》の猫板《ねこいた》の上にある洋盃《コップ》から冷酒《ひやざけ》をぐいぐい飲んだ。御縫さんは白い肌をあらわに、鏡台の前で鬢《びん》を撫《な》でつけていた。彼はまた自分の分として取り配《わ》けられた握《にぎ》り鮨《すし》をしき
前へ
次へ
全343ページ中71ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング