細君の顔には多少|諷諫《ふうかん》の意が現われていた。
「それを聞きに、御前わざわざ薬王寺前《やくおうじまえ》へ廻ったのかい」
「またそんな皮肉を仰《おっ》しゃる。あなたはどうしてそう他《ひと》のする事を悪くばかり御取りになるんでしょう。妾《わたくし》あんまり御無沙汰《ごぶさた》をして済まないと思ったから、ただ帰りにちょっと伺っただけですわ」
彼が滅多に行った事のない兄の家へ、細君がたまに訪ねて行くのは、つまり夫の代りに交際《つきあい》の義理を立てているようなものなので、いかな健三もこれには苦情をいう余地がなかった。
「御兄《おあにい》さんは貴夫《あなた》のために心配していらっしゃるんですよ。ああいう人と交際《つきあ》いだして、またどんな面倒が起らないとも限らないからって」
「面倒ってどんな面倒を指すのかな」
「そりゃ起って見なければ、御兄《おあにい》さんにだって分りっ子ないでしょうけれども、何しろ碌《ろく》な事はないと思っていらっしゃるんでしょう」
碌な事があろうとは健三にも思えなかった。
「しかし義理が悪いからね」
「だって御金を遣《や》って縁を切った以上、義理の悪い訳はな
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