えているような気もした。しかしその親類の人には、要《よう》さんという彼とおない年位な男に二、三遍会ったぎりで、他《ほか》のものに顔を合せた記憶はまるでなかった。
「芝というと、たしか御藤《おふじ》さんの妹さんに当る方《かた》の御嫁にいらしった所でしたね」
「いえ姉ですよ。妹ではないんです」
「はあ」
「要三《ようぞう》だけは死にましたが、あとの姉妹《きょうだい》はみんな好い所へ片付いてね、仕合せですよ。そら総領のは、多分知っておいでだろう、――へ行ったんです」
 ――という名前はなるほど健三に耳新しいものではなかった。しかしそれはもうよほど前に死んだ人であった。
「あとが女と子供ばかりで困るもんだから、何かにつけて、叔父《おじ》さん叔父さんて重宝がられましてね。それに近頃は宅《うち》に手入《ていれ》をするんで監督の必要が出来たものだから、殆ど毎日のように此所《ここ》の前を通ります」
 健三は昔この男につれられて、池《いけ》の端《はた》の本屋で法帖《ほうじょう》を買ってもらった事をわれ知らず思い出した。たとい一銭でも二銭でも負けさせなければ物を買った例《ためし》のないこの人は、その時も僅
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