前も折角こうして上がったものですから、これだけはどうぞ曲げて御承知を願いたいもので」
吉田の様子はいよいよ丁寧になった。どう考えても交際《つきあう》のは厭《いや》でならなかった健三は、またどうしてもそれを断わるのを不義理と認めなければ済まなかった。彼は厭でも正しい方に従おうと思い極《きわ》めた。
「そういう訳なら宜《よろ》しゅう御座います。承知の旨《むね》を向《むこう》へ伝えて下さい。しかし交際は致しても、昔のような関係ではとても出来ませんから、それも誤解のないように申し伝えて下さい。それから私《わたし》の今の状況では、私の方から時々出掛けて行って老人に慰藉《いしゃ》を与えるなんて事は六《む》ずかしいのですが……」
「するとまあただ御出入《おでいり》をさせて頂くという訳になりますな」
健三には御出入という言葉を聞くのが辛《つら》かった。そうだともそうでないともいいかねて、また口を閉じた。
「いえなにそれで結構で、――昔と今とは事情もまるで違ますから」
吉田は自分の役目が漸《ようや》く済んだという顔付をしてこういった後《あと》、今まで持ち扱っていた烟草入を腰へさしたなり、さっさと帰
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