見えた。不穏の言葉は無論、強請《ゆすり》がましい様子は噫《おくび》にも出さなかった。
十三
これで吉田の持って来た用件の片が付いたものと解釈した健三は、心のうちで暗《あん》に彼の帰るのを予期した。しかし彼の態度は明らかにこの予期の裏を行った。金の問題にはそれぎり触れなかったが、毒にも薬にもならない世間話を何時までも続けて動かなかった。そうして自然天然|話頭《わとう》をまた島田の身の上に戻して来た。
「どんなものでしょう。老人も取る年で近頃は大変心細そうな事ばかりいっていますが、――どうかして元通りの御交際《おつきあい》は願えないものでしょうか」
健三はちょっと返答に窮した。仕方なしに黙って二人の間に置かれた烟草盆《タバコぼん》を眺めていた。彼の頭のなかには、重たそうに毛繻子《けじゅす》の洋傘《こうもり》をさして、異様の瞳を彼の上に据えたその老人の面影がありありと浮かんだ。彼はその人の世話になった昔を忘れる訳に行かなかった。同時に人格の反射から来るその人に対しての嫌悪《けんお》の情も禁ずる事が出来なかった。両方の間に板挟みとなった彼は、しばらく口を開き得なかった。
「手
前へ
次へ
全343ページ中41ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング