熱い葛湯《くずゆ》でも飲んで、発汗したい希望をもっていた健三は、やむをえずそのまま冷たい夜具の裏《うち》に潜《もぐ》り込んだ。彼は例にない寒さを感じて、寐付が大変悪かった。しかし頭脳の疲労はほどなく彼を深い眠の境に誘った。
 翌日《あくるひ》眼を覚した時は存外安静であった。彼は床の中で、風邪はもう癒《なお》ったものと考えた。しかしいよいよ起きて顔を洗う段になると、何時もの冷水摩擦が退儀な位|身体《からだ》が倦怠《だる》くなってきた。勇気を鼓《こ》して食卓に着いて見たが、朝食《あさめし》は少しも旨《うま》くなかった。いつもは規定として三膳食べるところを、その日は一膳で済ました後《あと》、梅干を熱い茶の中に入れてふうふう吹いて呑《の》んだ。しかしその意味は彼自身にも解らなかった。この時も細君は健三の傍に坐って給仕をしていたが、別に何にもいわなかった。彼にはその態度がわざと冷淡に構えている技巧の如く見えて多少腹が立った。彼はことさらな咳《せき》を二度も三度もして見せた。それでも細君は依然として取り合わなかった。
 健三はさっさと頭から白襯衣《ワイシャツ》を被《かぶ》って洋服に着換えたなり例刻
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