《か》け付けるのを例にしていた。
初冬《はつふゆ》の暗い夜はまだ明け離れるのに大分《だいぶ》間があった。彼はその人とその人の門《かど》を敲《たた》く下女《げじょ》の迷惑を察した。しかし夜明《よあけ》まで安閑と待つ勇気がなかった。寝室の襖《ふすま》を開けて、次の間から茶の間を通って、下女部屋の入口まで来た彼は、すぐ召使の一人を急《せ》き立てて暗い夜の中へ追い遣った。
彼が細君の枕元へ帰って来た時、彼女の痛みは益《ますます》劇《はげ》しくなった。彼の神経は一分ごとに門前で停《とま》る車の響を待ち受けなければならないほどに緊張して来た。
産婆は容易に来なかった。細君の唸《うな》る声が絶間《たえま》なく静かな夜の室《へや》を不安に攪《か》き乱した。五分経つか経たないうちに、彼女は「もう生れます」と夫に宣告した。そうして今まで我慢に我慢を重ねて怺《こら》えて来たような叫び声を一度に揚げると共に胎児を分娩《ぶんべん》した。
「確《しっ》かりしろ」
すぐ立って蒲団の裾《すそ》の方に廻った健三は、どうして好《い》いか分らなかった。その時例の洋燈《ランプ》は細長い火蓋《ほや》の中で、死のように静
前へ
次へ
全343ページ中268ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング