》はなかった。
七十六
けれどもその次に細君の父が健三を訪問した時には、二人の関係がもう変っていた。自《みずか》ら進んで母に旅費を用立《ようだ》った女婿《むすめむこ》は、一歩|退《しり》ぞかなければならなかった。彼は比較的遠い距離に立って細君の父を眺めた。しかし彼の眼に漂よう色は冷淡でも無頓着《むとんじゃく》でもなかった。むしろ黒い瞳《ひとみ》から閃《ひら》めこうとする反感の稲妻であった。力《つと》めてその稲妻を隠そうとした彼は、やむをえずこの鋭どく光るものに冷淡と無頓着の仮装を着せた。
父は悲境にいた。まのあたり見る父は鄭寧《ていねい》であった。この二つのものが健三の自然に圧迫を加えた。積極的に突掛《つっかか》る事の出来ない彼は控えなければならなかった。単なる無愛想の程度で我慢すべく余儀なくされた彼には、相手の苦しい現状と慇懃《いんぎん》な態度とが、かえってわが天真の流露を妨げる邪魔物になった。彼からいえば、父はこういう意味において彼を苦しめに来たと同じ事であった。父からいえば、普通の人としてさえ不都合に近い愚劣な応対ぶりを、自分の女婿に見出すのは、堪えがたい馬鹿ら
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